昨日は予想通りレッドブルのウェバーが優勝、2位もレッドブルのベッテルと最近レッドブルは絶好調。車体設計はRB6は去年の継続、エンジンはルノー。良いマシンに仕上がっていました。予選でも1、3位と好調でこの結果を予想させました。
レッドブルが絶好調だった2010年のF1モナコGP
2010年のモナコグランプリの結果はレッドブルチームの今後の快進撃を十分に予想させます。ドライバーの腕前とマシンの性能、それとピットチームの善し悪し、これらが一体と成らなければ優勝はありません。2002年にミナルディでデビューしたウェバーでしたが、ジャガー、ウイリアムズを経てレッドブルで開花しましたね。2005年と比べるとずいぶん変わったものです、当時はデビューしてまもないレッドブルーは2台ともリタイヤでしたし、優勝はマクラーレンのライコネン、毎年強いチームが変わるのは楽しい事です。でも今思い出してもモナコは本当に美しかったです。死ぬまでにはもう一度また行きたいですね。 昨日の続きの再開です。
モナコGP2005年での写真撮影
この時はカメラ2台とレンズ多数。始めてノートパソコンのMacbookを携帯しました。 結果的にこれが良かったです。デジカメの液晶では解りませんでしたが、パソコンで見るとピントの甘い写真が多く、ほとんど失敗でした。シャッタースピードやフォーカスの方法を変えて再挑戦です。1日目の予選やF3000の決勝なので本戦の決勝は撮影方法を修正できました。 重たかったですがこれが成功しました。!後のことですが帰りの大きなカメラの機材のケースに輸送時の圧力が加わり、Macbookの液晶画面は壊れていました。大ショックなできごとでしたが、無ければピントのあまい写真ばかりになっていたでしょう。お金には変えれません。
貴重な経験でした。 何でも生で観戦する事は大事です。テレビの方が良く見えますが、臨場感や熱気は甲子園もそうですが、全然違います。モータースポーツ嫌いの僕がこれを契機に変わりました。すばらしい!
ライコネンもF1を去った今、マクラーレンのハミルトン頑張れ!
モナコGP開催地のモンテカルロ
レースが終わってからコースをすべて歩きました。 途中デユーク更家さんを見かけました。この後、南のバーでも再びご一緒!驚き。 途中エルミタジュホテルでお茶を飲み女王は大満足です。
モンテカルロは4つの地区(カルティエ)の1つであり、同国の北東部、モナコ湾の北岸に位置します。モンテカルロ地区は行政上、同名の「モンテカルロ区」を含む4つの区にさらに分けられています。モナコの中心地区であり、経済を支える観光都市です。カジノや競技場、美術館、ゴルフ場などがあります。特に有名なモンテカルロ国営カジノは1,000人の客を収容する大広間と、ルーレットを備えたいくつかの部屋などからなり、絵画・浮き彫り・塑像などの装飾品、花壇を備えた前庭がある。また、モンテカルロ歌劇場を併設しています。
モンテカルロ国営カジノ
1863年開業のモナコ最古のカジノで、パリのオペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエによって建てらたカジノです。モナコの建築物のなかでもひときわ優雅でさすがはガルニエによって設計されただけあって宮殿のようです。世界中からセレブ達が集まるだけあります。このカジノに入る為には10ユーロの入場料が必要です。勿論、ドレスコードも厳しくラスベガスとは違います。入場券を買う際、当たり前ですがパスポートの提示が求められます。各ルーム毎にプレイできるゲームが分かれており、ブラックジャック、アメリカンルーレット等が午後2時からプレイできます。
現在は民営化されています。
モンテカルロ市街地コースを散策する
モナコの公道を閉鎖して設営される市街地コースです。F1モナコGPが1929年より開催されてこのコースを使用しています。1周は3.340kmと、現在のF1開催コースの中では最も短く、平均速度も160km/h程度と最も低いです。コース前半は豪華なカジノやホテルが立ち並ぶ丘陵部(モンテカルロ区)を上り下りし、海沿いのトンネルを通過し、後半はクルーザーやヨットが停泊する港湾部(ラ・コンダミーヌ区)の海岸沿いをいっきに走行します。
2車線しかない道路を使用しているため、市街地コースの中でも特にコースの幅が非常に狭く、直線はほとんどありません。19のコーナーがあり、そのほとんどがガードレールに視界を遮られたブラインドコーナーです。わずかなミスでもリタイアに繋がりやすく非常に難易度の高い市街地コースです。
ここでの1勝は他のレースの3勝に値するといわれています。この世界最大の超難解市街地コースを散策できるのもモナコグランプリを観戦した特権です。歩いて見ると解るのは、道路の狭さとカーブの多さです。やはり、F1ドライバーは天才的素質です。ここで160km超えのスピードで走るのは気がし狂っています。何回いや、何千回もギアやクラッチが要るのだろうか?と考えてしまいます。
散策していると、フェラーリや各F1チームのトレーラーが停まっています。普段では観られない光景です。ちょっと調べてみました。モナコグランプリの各コースの名称です。
モナコGPの各コースの名称
ホームストレート
普段は「アルベール1世通り」。ピット側の並木に沿って右に緩くカーブしている。途中にピットロード出口があるが、安全面から1コーナー先で本コースに合流する形となっている。
サン・デボーテ (Sainte Dévote)
モナコの守り神が祭られた教会に由来する第1コーナー。軽く左に曲がってから鋭く右にターンする。入口が非常に狭く、スタート直後に多重事故が起こりやすい。
ボー・リバージュ (Beau Rivage)
「美しい海を望む」という名が冠せられた長い上り坂。斜度8.1度の急勾配で、左右に緩くカーブしている。右側は崖、左側にはホテル・エルミタージュと高級ブランドショップが立ち並ぶ。
マスネ (Massenet)
坂を上りきると標高42mのコース最高地点となる。マスネはオテル・ドゥ・パリの前を回り込む左コーナー。コーナー名の元となった作曲家ジュール・マスネの胸像がある。
カジノ・スクエア (Casino Square)
モナコが誇るグラン・カジノ前の広場を回り込む右コーナー。ここを抜けるとポルティエまで急な下り坂となる。ミラボーまでの短い直線の路面には大きな隆起(左側に急坂を登る道があるため)があり、1970年代までは通過するマシンがジャンプしていた。
ミラボー (Mirabeau)
イン側の排水用の溝にフロントタイヤを引っ掛けて右に回りこむ。オーバーテイクの仕掛け所になるが、下り坂であるためブレーキングが難しく、接触も多い。名称は隣接のホテル・ミラボーから。
フェアモント・ヘアピン (Fairmont Hairpin)
かつては地下に鉄道駅があったことから「ステーション・ヘアピン」と呼ばれた。駅舎の移転後は、向かいにあるホテルの名称で呼ばれている。ホテルの改名に伴い「ロウズ・ヘアピン」「グランドホテル・ヘアピン」「フェアモント・ヘアピン」と変わって来ているが、今でも「ロウズ・ヘアピン」と呼ぶ人が多い。
F1開催サーキット中でも最も半径の小さなコーナーで、1速50km/h弱にまで減速する。マシンによってはステアリングのギアレシオを変更する場合もある。マカオのメルコヘアピンのように追い越し禁止エリアとはなっていないため、無茶なオーバーテイクを狙っての接触事故が起こりやすい。多重事故が起きるとコースが塞がれ、後続は大渋滞となる。
ポルティエ (Portier)
ヘアピンから急に下って迎える右コーナー。ここを抜けると、左手には地中海が広がる。ポルティエとは港の意味。コースの下に小さな入江がある。
1988年には、レース終盤トップを独走していたアイルトン・セナがポルティエ出口でクラッシュ。1996年にはポールポジションのミハエル・シューマッハがオープニングラップにポルティエ手前でクラッシュした。
トンネル (Le Tunnel)
F1の開催されるサーキットの中で唯一のトンネル。薄暗がりの中をアクセル全開で通過する。右に緩くカーブしており、ラインを外すと埃に乗ってクラッシュしてしまう。2011年以降、ここではDRSの使用が禁止されている[4]。トンネル出口では、このコース最高速の280km/h後半を記録する[1]。
豪雨に見舞われた1984年は、レインタイヤのバースト防止のため、トンネル内にも散水が行われた。
ヌーベル・シケイン (Nouvelle Chicane)
ヌーベルとは新しいの意味。1985年まで使われた旧シケインは並木の右側から左側に抜けるだけで、通過速度が速かった。現在は左に大きく切れ込み、右に切り返す低速シケインである。トンネル出口から下り坂になっており、路面にバンプがあるのでブレーキングは難しい。コース幅が割合広いので、数少ないオーバーテイクポイントのひとつとなる。
タバコ (Tabac)
海岸沿いの短い直線から飛び込む左コーナー。観客スタンドの裏にあるタバコ屋が名称の由来。
このコーナーよりラスカスまでは、埋め立てにより過去に何度も海側へ移動してきた。その度にこのコーナーは手前へ移動したことになる。
プール (Piscine)
マリーナ沿いのプールを迂回するように設置されたコの字型のセクション。入口はF1黎明期に活躍したモナコ出身のドライバーでコースデザインを担当したのを称えてルイ・シロン (Louis Chiron) と呼ばれる。出口のシケインは、縁石の形が変わった事により通過速度が高くなった。
ラスカス (La Rascasse)
左に曲がりながら減速し、ガードレールに沿って右に小さく回り込むヘアピン。名称はコーナーの内側にあるレストランが由来(ラスカスとはミノカサゴの意味)。ウェットレースではスピンが続発する難コーナーだったが、2003年の改修でエントリー部分が緩やかになり、難易度はやや下がった。
かつては「ガスワーク・ヘアピン (Gazométre) 」と呼ばれる、単純なヘアピンコーナーだった。
2006年は予選中ミハエル・シューマッハがここで停車して故意にコースを塞いだとして、予選タイムを抹消された(通称「ラスカス・ゲート」)。
アントニー・ノーズ (Anthony Noghès)
ラスカスからピットレーン入口を挟んで迎える最終コーナー。出口が若干左側に傾いており、大きなうねりがある。名称はモナコGP開催実現に尽力したモナコ自動車協会の「アントニー・ノゲ (Anthony Noghès) 」の名を英語読みしたもの。
エルミタージュは奇麗なホテル。中のカフェは雰囲気は最高、お金持ちになった気分!
また行けると良いですね。思い出に残った旅行でした。僕のだめフランス語も通じたし、めでたしめでたしの旅でした。
参照 ウィキベディより
最後ですが昨日のラジオ関西の出演の宣伝用You Tubeがアップされていました。 本番ももうすぐアップされます。よろしければ”谷敦 リプロ”と入れてみてください。 僕もリンクのやり方を学んでおきます。それでは!
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